歴史:光風台第2自治会の歩み

                                                            

光風台第2自治会は1988(昭和63)年4月に結成されました。発会当時の世帯数は早くも298世帯と記録されています。

第1回総会で17名の役員を選出、初代会長に3区1班の本 村  唱 氏を選任し光風台第2自治会の歴史が始まりました。

1989(平成1)、広報紙「自治会だより」創刊号発行、毎月発行の開始。同じくこの年から公園・緑地の清掃奉仕作業として「さわやか運動」の取り組みを始めました。

「自治会だより」と「さわやか運動」は現在まで脈々と受け継がれ、第2自治会の誇りとなっています。

この年5月、「第2自治会ソフトボール同好会」を結成。自分たちの趣味であるソフトボールに主眼を置きつつ、一方で自治会活動を補佐する側面も有しました。

平成2年4月、「長崎市立鳴見台小学校」開校。この小学校開校は昭和63年以来、自治会及び地域住民が一体となって取り組んできた「小学校建設促進協議会」の活動の成果でもありました。

平成4年4月、地域全体の諸問題を解決していく一環として、三重地区連合自治会及び三重地区体育会に加盟、三重地区の一員としての活動にも積極的に関わるようになりました。

平成5年には『子ども達にはふるさとを、おとなには郷愁を』と銘打ち、日本古来の伝統文化に対する意識を深め、更に継承していく心を育てようと、第2自治会「公民館講座」として、旧正月行事に各地で行われている“鬼火焚き”を実施。これが実質第1回目の“鬼火焚き”となり、現在も取り組まれています。

また、4月には小学校上に前年完成したマンション「ヒルハウス光風台」が第2自治会に加盟しました。

平成6年4月、初代会長本村氏の後を受けて、境  美 彰会長が選出され就任。

6月には三重:沖平地区で実施された「長崎県総合防災訓練」に第2自治会として初参加。

平成7年1月7日、「阪神・淡路大震災」発生。第2自治会も直ちに救援募金活動に取り組み、多くの住民の賛同を得て、312,481円の浄財が寄せられました。この浄財は長崎市を通じて被災地に届けられました。

8月には「被爆50周年市民大行進」に第2自治会として参加、浦上の被爆地を行進しました。

この間、公民館講座なども活発な活動を続け、「和紙の民芸折り紙」などは三重地区公民館まつりに展示したり、「民芸折り紙教室作品展」を十八銀行滑石支店や親和銀行葉山支店などで行ってきました。

平成8年4月、第9回定例総会開催。564世帯。

第2自治会集会所に空調設備(エアコン)を新設。

平成9年。山脇建設との間で、資材加工工場建設に係る協定書の締結。西彼衛生施設組合時津工場からの煤煙排出規制等に関する申し入れ。臨港道路開通に伴う光風台方面への取り付け道路存続を県臨海事務所と確認など、環境に係る大きな問題に取り組み一つひとつを確実に処理することができました。

この年9月に「自治会だより」が100号発行を達成

平成10年。地区内生活環境改善・整備が大きく前進。

平成11年。第2自治会として強く要望していた「防災無線」が、第2自治会集会所に新設。団地内の防災・防犯連絡体制を図る上からも、その基盤整備の充実につながりました。

平成12年。住民要望実現のため、様々な取り組みを実行する。とりわけ、2丁目に右翼が大々的に看板を掲げ、活動の拠点としたため、光風台から右翼・暴力団の追放に取り組み、会長と2丁目主婦有志が「安全な町づくりのために、光風台から右翼・暴力団の追放とパトロールの強化」を県警に陳情。その間、呼び出しなど若干の恐怖も抱かされましたが、第2自治会と警察の連携によって「右翼・暴力団」を締め出すことができました。

平成13年。「三重地区新春駅伝大会」で、第2自治会が3年連続準優勝に輝く。(往路2位、復路優勝)

この年は「家電リサイクル法」が施行され、「テレビ」「エアコン」「洗濯機」「冷蔵庫」の4品目は直接業者に依頼するようになる。また、10月から光風台地区が「ごみ袋の指定・有料化」とごみ分別モデル地区に指定される。

平成14年。「三重地区新春駅伝大会」で待望の総合優勝を勝ち取る。

12月には光風台病院横に新たに「鳴見の丘」団地が誕生し、第2自治会に加入することが決まり、12月から翌3月までオブザーバー参加することになる。

平成15年。先にオブザーバー参加が認められていた「鳴見の丘」団地が、4月の総会で正式に第2自治会加盟。従来12区までの区割りを13区までに追加。これにより第2自治会の世帯数が589世帯となる。

11月には第2自治会の範囲が広がったこともあり、2号緑地公園藤棚側に2基目の防災無線が設置されました。また、資源のリサイクル化推進の立場から、第2自治会として古紙、アルミ缶など回収し、保管できる「資源物保管庫」を設置し、子ども会などで回収した資源物の一時保管を行っています。

「自治会だより」では、コラムとして親しまれている『コーヒータイム』が、連載50回目を迎えた節目にと、小冊子にまとめて発行する。

この小冊子が長崎新聞の近郊版に“地域の話題”として大きく取り上げられ、話題を呼びました。

平成16年。総会で「会則(規約)」の全面改正を行う。世帯数は605世帯となり、創立時の3倍に膨れあがり、市内有数の大きな自治会になる。

平成17年。1月4日付けで西彼6町が長崎市に編入合併。これにより、三重・外海地区は今までの時津署、大瀬戸署管轄から稲佐署管轄区に移行。

4月の定例総会では、世帯数611世帯とこれまでの最高を記録し、現在も増加の一途を辿っている。

また、2年前につづいて2棟目の「資源物保管庫」を2・3号緑地公園に設置する。

平成18年世帯数630世帯人口2,176名。「地縁による団体」認可申請を行う。

「自治会だより」200号特別号を発行。

この年、光風台の姉妹団地として開発されていた豊洋台団地に「豊洋台第1自治会」が結成されました。

平成18731 「第2自治会公式ホームページ」開設。自治会機関紙「自治会だより」に続く広報手段として開設、実現。市のHPにも掲載。

 

9月25日 「地縁による団体」としての認可が下りる。以後、法人として自治会名義で不動産登記が出来ようになる。集会所とその敷地が市の所有から、自治会に移行する。

 

平成19225 第2自治会創立20周年記念式典・祝賀会開催。式見ハイツ・クリスタルホールに於いて、長崎市長・伊藤一長氏、県議会副議長・佐藤了氏、三重地区連合会長・中村信昭氏ら多くの来賓の出席を得て、盛大に挙行。祈念式典の一環として、ロゴマークコンテスト及びフォトコンテスト入賞者の表彰、永年役員在任者の表彰など行われた。

 

415日 20回定例総会開催。世帯数632世帯。

 

4月17日 伊藤一長長崎市長、選挙運動中 暴力団の凶弾に斃れる。

 

422日 新長崎市長に田上富久氏当選。

 

7月 公民館講座として「台風の基礎知識」と題して、長崎海洋気象台から講師を派遣して貰い、スライドを駆使した講座を開講。

 

10月 新潟・中越沖地震被災地への救援募金活動取り組み。多くの会員から、141515円の浄財が寄せられ、長崎市社会福祉協議会を通じて被災地に届けられた。

 

環境部による第2回目の「三京クリーンランド・リサイクルプラザ」見学会が行われ、11名の参加があった。

 

平成20115 第2集会所改修工事始まる。

13(鳴見の丘)の区・班体制を変更。従来の13区から1区増で14区体制に20年度から改変することを決定。

 

平成2039日 第2集会所改修工事完了、引き渡し。

 

413日 21回定例総会開催。世帯数637世帯。 

58日 市主催「ちゃんぽんミーティング」に境会長、冨増副会長出席。「地域活性化における自治会の役割」について意見交換。

5月16日 第2自治会ホームページ リニューアルオープン

522日 会長、「長崎市市民力推進委員会委員就任」

 

8月15日 自治会精霊流し(もやいぶね)を新企画として開始


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